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2023/04/08

加藤完治の満州開拓開始にいたる概略とその意義

満洲開拓は当時あらゆる階層の人々が、 不可能だといっていた日本人の満洲農業移民が、 満洲の荒野を開いて、人類の生活に寸時も欠く事の出来ない、 衣食住の原料生産を立派に成し遂げたという事実を記録した実に大切な書物である。 その頃、日本人の満洲農業移民は無意味だ、絶対不可能だという愚論が、
満洲現地においてはもちろん、日本内地においても、 時の大蔵大臣高橋是清翁をはじめとして、陸軍大臣、ま た殖民に一番深い関係のある拓務大までもが、皆駄目だといっていたのである。 かかる際に日本農民が現地に乗り込んで行って、あらゆる困難を克服して、 立派に彼の地に落ち着くようになったのは、何といっても画期的な大事業であった。 不幸にして世界大戦において、日本が破れ、かっ満洲国も減亡したために、 成功しつつあったこの大事業も中途で挫折の止むなきに至り、 内地より移住した多くの日本農民は、悲慘な目にあって、 辛うじて日本に帰って来たのであけれども、あれ程御歴々が頑固に主張した、 日本人の満洲農業移民不可能論を見事打ち破って、 事実をもってその可能なことを示した功は、絶対に忘れてはならない。 現在は日本農民による満洲開発の不可能を主張する人など一人もあるまい。 しかしその当時のことを思うと、内外地における御歴々は皆反対だった。 そもそも満洲農業移民が駄目だという主張は、 いわゆる農業経済を教える欧米各国に横行していた企業的農業論である。 気候も悪いし、土壤の性質も日本内地とは違うし、 病害虫なども多い彼の地に日本農民が行って、 しかも土着の満人農民は生活程度が極めて低く、よく悪い気候を克服し、 男女ともによく働く、彼等の中に日本農民が入って、とても対抗できるものではない。 況んや匪賊の横行する所で、日本人が落ち着いて働けるものではないというのである。 しかしながらこれは日本農家の実情をよく知らぬ人々の農業経済論であって、 日本農民は一定の土地、しかも二、三町歩位の小さな土地で、 草木の適当に繁る所でさえあれば、 これを耕作して立派に生活して行くだけのカのある農民なのである。 それなのに欧米人の農業経済論にふり回わされて、 日本農民は満洲には移住できないと主張したのである。 その不可能論を打ち破ったあらましを、ここに書いておきたいと思う。 そして、一国の国民の前途を明かるくもし、また暗くもする、 我が国の責任ある立場にある方々の御参考に供したいのである。 多くの不可能論者の中に陸軍大臣荒木貞夫大将もおったし、 大蔵大臣高橋是清翁もおった事は先に述べたが、 是等の方々は多くの部下や友人等のいう事を信じ切っておられたものと思う。 それから満洲の現地には松岡満鉄総裁を中心として、 満洲国の官吏、関東軍の軍人達の大部分、なお特別な団体で東亜連盟会員の幹部等がおった。 僕は高橋大蔵大臣に会う前に荒木陸軍大臣に会ってお話しをした。 それは昭和七年の正月二日朝、僕が東京の国高販売部にいると、 山形から角田一郎という予備陸軍中佐が訪ねて来て、 「自分は山形の者だが、先生の満洲移民の必要性、可能性を聞き、真にもっともだと思って、陸軍省に行って同期生の永田軍務局長に会ったり、多くの後輩などにも説いたが、 誰も耳をかたむけてくれない。 私では駄目だから一つ先生を煩わして、陸軍を説き伏せたいと思う」というので、 その事なら何処へでも行くから連れて行けと答えると、 角田中佐は盛んに電話をかけていたが、陸軍大臣官邸に行ってくれという。 そこで乱暴な服装で二人して大臣官邸に行った。 そして来意を告げると、副官はちょっと驚いたような様子だったが、 奥に入って大将に報告したのであろう、大臣の面会室に入れられた。 待っていると荒木大将が出て来て、「何用ですか」と問われたから、 早速満洲移民問題をお話しすると、大将は僕も駄目だと思うと答えられた。 そこで二人の間に満洲移民についての大議論がはじまった。 しかし大将は真面目な人だから、僕のいう事に対して、疑問を一つ一つ並べて質問した。 話している中に僕の意見がよくわかられて、 非常に喜ばれ一々個条書きにして手帳に書きとられていた。 最後に「これを決行するとしたら僕は何を受持てばよいか、そして君は何を受持つか」 といわれたから、大臣は移住地の獲得、移民宿舎の設立(借入)、 移住者の一年以上の食物の準備、匪賊等に対する防禦用武器の供給、 軍医の選定、在郷軍人移住者の定等をお願いした。 そして僕の分担は出て来た移住者の訓練、これで移民は決行し得ると答えたら、 よく諒解して、しっかりやろうといっつて別れた。 しかし荒木陸軍大臣が可能論者になられても、 大蔵大臣が可能論者にならなければ移民の断行が出来ないので、 その高橋大蔵大臣を説得しなくてはならない。 その大臣が最も頑固な満洲移民不可能論者なのである。 満洲移民については石黒忠篤兄から大臣に話しをしたものと思うが、 那須皓博士や橋本伝左衛門博士が満洲移民可能論を話しに行ったら、 君等は移民現地に行って見て来たのかと質問されたので、 両博士とも「まだ現地には行っておりません」と答えたら、 現地に行かないでいう移民論など聞く必要なしとて、 一言のもとに断わられたと僕は聞いていたので、腹をきめていた。 拓務省と石黒さんから連絡があって、大蔵大臣に会いに行けというので、 満蒙移民可能論を話しに出かけた。大臣のいる大きな室に通されて待っていると、 大臣は一人の秘書をつれて出て来られて、 何用かというから日本農民の満洲移民の可能性を申し上げに来たというと、 いきなり右腕をまくって「君は現地に行ったか」と大きな声で怒鳴りつけた。 秘書はこれを見て直ぐ室を出て行ったので、僕と大臣と二人きりになった。 そこで僕は「現地に行って来ました」といったら、今度はいよいよ質問をはじめたから、 僕は心ひそかに「しめた」と思って、静かに大臣の質問に対して全部一つ一つ説きあかして、満蒙移民は何でもなく確かに出来ますと述べた。 すると大臣はいきなり僕は忙しいからといって、自分の机の方に行ってしまったから、 僕も後から追いかけてその前に行って、 「大臣どうか日本農民の為めに満蒙移民を断行して下さい」と頼んだら、 それでは試験移民として二回に分けて千人ばかりやって見よう、 成績が上ったら続けてやろう、但し悪ければ取り止めにするといった。 僕はこの返事をきいて大喜びで拓務省と石黒さんに報告した。 これが高橋大蔵大臣との話し会いのあらましである。 もう一つは松岡満鉄総裁との対談、 これは松岡総裁が同社員と共に日本農民の満蒙移民は駄目だといっていたので、 彼を説得するよう参謀本部の元関東軍作戦課長石原第2課長から頼まれたのである。 松岡総裁を説得するために僕は大連に乗り込んで、満鉄本社で総裁に会った。 そこで満蒙農業移民の不可能論を松岡総裁はとうとう三時間以上も弁じたて タ方になった。そして「加藤さんもうわかたでしよう」というから、 貴下一人で三時間以上も話されて、僕はまだ一口も話しをしない。 僕はわざわざこの事を話すために内地から来たのに一言も話させないのはひどいというと、 それなら明日星ヶ浦の料亭で昼食をすました後で聞こうという事になった。 僕はその晩旅館に帰って松岡総裁が述べた不可能論を一つ一つ個条書きにして、 その駁論を書きつけておいた。 翌日星ヶ浦の料亭で松岡総裁に僕の可能論を徹底的にやった。 そして最後に在郷軍人を集めて各地に移民させたが、 入植者の3分の2位は大体農業移民として残るが、 あとは金儲けをやりたいと思ったりして転業をしてしまう、 それで考えた結果青少年移民をする方が成功すると思うから、 これを断行したいと述べたら、松岡総裁は大賛成と喜んでくれた。 そして僕で出来ることなら何なりと応援するというので、 大訓練所の建設をお願いして承諾を得たのである。 最後に日本農民の満蒙農業移民可能論を極力応援した、 否むしろ主張した人々を申上げてみると、 頭とロで主張した方々の主なる人々は僕の親友である、 石黒、那須、小平、橋本の四人をはじめ日本の農業界の多くの方々である。 また手と足とで主張した人々は僕の弟分や教え子で、 日韓合併時代に朝鮮の群山や平康という、実にひどい荒地に20代の若夫婦で乗り込んで、 皆立派な田畑山林に仕上げた人々、それから満洲試験移民がはじまった時に、 僕に代って匪賊のおる、しかもひどい未耕地に乗り込んで、 匪賊や病魔と戦いながら立派な耕地にした親友等々の血と汗の結晶が、 満蒙農業移民の可能を強く日本国民のみならず、 在満並びに欧米露の人々にさえも示した事を忘れてはならない。 要するに日本農民の満蒙農業移民は、絶対に可能なりと極印を押さしたことは、 戦争で負けて出来た耕地はとりあげられ、また多くの可愛いし子供等のみならず、 その父母兄弟の多くの人が生命財産を失った悲しみを以てしても、 替え難い大事業をして下さったのである。 我等は一面悲しむと同時に、他面ほんとうに有り難く感謝すべきだと信ずる。 生死不ニ病亡生殺悉是一陣之風 (生死に関わる全てのことが、一陣の風のように軽々と変わってしまう)


昭和41年月3 加藤 完治

2023/03/30

満州事変からの第二次世界大戦への流れとウクライナ紛争との相似点

 


1930年の国際情勢は、緊張の高まりと大国間の紛争の脅威の増大によって特徴付けられました。大恐慌によって引き起こされた経済的困難は、ナショナリズムと領土への野望の高まりとともに、この不安定さを助長しました。

対照的に、現在の国際情勢は、多国間主義と協力がより強調された、より相互接続され相互依存するグローバルシステムによって特徴付けられます。しかし、世界の安定を脅かす重大な課題と緊張が依然として存在します。

2つの時代の重要な類似点の1つは、軍事紛争に発展する可能性のある領土紛争の存在です。1930年代、日本の満州侵攻とその後の1931年のこの地域の併合は、一連の出来事を引き起こし、アジアでより広範な紛争を引き起こし、最終的には第二次世界大戦に至りました。同様に、今日、ウクライナと台湾をめぐる進行中の領土紛争は、より大きな紛争を引き起こす可能性のある潜在的な発火点であり続けています。

ウクライナでは、2014年のロシアによるクリミア併合をめぐるロシアとウクライナ間の緊張が高まり続けており、ウクライナ東部のドンバス地域で散発的な衝突と停戦違反が発生しています。この紛争はまた、ロシアと西側の間のより広範な地政学的競争の代用にもなり、ロシアは西側がロシアを包囲して弱体化させるためにウクライナを支持していると非難している。

台湾では、台湾が争っている島に対する中国の主権の主張により、状況も緊張しています。中国はこの地域での軍事活動を強化しており、これには台湾付近での頻繁な海空哨戒が含まれており、台湾を本土と再統一するために武力を行使すると脅迫している。米国は、攻撃が発生した場合に台湾を支援することを約束しており、米国と中国の間の緊張をさらに悪化させています。

全体として、現在の国際情勢は1930年代よりも相互に関連し、協力的になっていますが、未解決の領土紛争と大国間競争の存在は、紛争の可能性が依然として懸念されていることを意味します。


ウクライナについて

日々の報道の適切な理解への基礎情報。

1,ウクライナの国土面積は約603,550k㎡で、
  日本の国土面積は約377,900k㎡。
  ウクライナの国土面積は日本の国土面積よりも約1.6倍。
2,クリミア半島の面積は、約2万6844k㎡ で、
  日本の静岡県・愛知県・岐阜県・三重県の4県(29,317平方キロメートル)ほぼ一致。




ウクライナ共和国の概略

背景

ウクライナは、10世紀と11世紀にヨーロッパで最大かつ最も強力な州であった最初の東スラブ国家、キヴァンルスの中心でした。ウクライナはソ連の解散により1991年に独立を達成しましたが、民主主義と繁栄はとらえどころのないままでした。国家統制の遺産は、経済改革、民営化、市民の自由への取り組みを妨げました。ウクライナは、インフラを破壊し、人道的危機を引き起こした2022年のロシアの侵略に激しく抵抗しています。

地理

エリア

合計: 603,550平方キロメートル
土地: 579,330平方キロメートル
水: 24,220平方キロメートル

気候

温帯大陸;クリミア南部の海岸のみの地中海。降水量は不釣り合いに分布し、西と北が最も高く、東と南東では少ない; 冬は黒海沿いの涼しいものから内陸部の寒いものまでさまざまです。南部で暑い国の大部分を暖かい夏

天然資源

鉄鉱石、石炭、マンガン、天然ガス、石油、塩、硫黄、グラファイト、チタン、マグネシウム、カオリン、ニッケル、水銀、木材、耕地

人と社会

人口

43,306,477 ( 2023 est。)

民族グループ

ウクライナ語77.8%、ロシア語17.3%、ベラルーシ語0.6%、モルドバ0.5%、クリミアタタール語0.5%、ブルガリア語0.4%、ハンガリー語0.3%、ルーマニア語0.3%、ポーランド語0.3%、ユダヤ人0.2%、その他1.8% ( 2001 est。)

言語

ウクライナ語(公式) 67.5%、ロシア語(地域言語) 29.6%、その他(には、クリミア語の小さなタタール語、モルドバ/ルーマニア語、ハンガリー語を話す少数派が含まれます) 2.9%( 2001 est。); 注-2018年2月、憲法裁判所は、州の人口の少なくとも10%が話す言語に「地域の言語」のステータスを付与する2012年の言語法を決定しました" -裁判所、学校、その他の政府機関での使用を許可することは違憲であり、したがって法律は無効になりました。ウクライナ語は国の唯一の公式の全国言語のままです

宗教

正教会(には、ウクライナ正教会( OCU )、ウクライナ自治正教会( UAOC )、およびウクライナ正教会-モスクワ総主教庁( UOC-MP ) <TAG1が含まれます>、ウクライナギリシャカトリック、ローマカトリック、プロテスタント, イスラム教徒、ユダヤ人( 2013 est。)

人口増加率

-0.52%( 2023 est。)

政府

政府のタイプ

半大統領共和国

資本

名前: キエフ(キエフ)

行支部

国家元首: Volodymyr ZELENSKYY ( 2019年5月20日以降)
政府首脳: 2020年3月4日以降、首相デニスSHMYHAL ( )

立法府

説明: 一院制の最高評議会またはVerkhovna Rada ( 450議席。 225人のメンバーが単一議席の選挙区で単純多数決により直接選出され、225人が単一の全国選挙区で直接非公開で選出された, 党リストの比例代表投票;メンバーは5年間の任期)

経済

経済概要

中所得の非EU東ヨーロッパ経済の低下。主要な小麦生産者;産業およびエネルギー輸出国;防衛への大きな財政再配分;ロシアと戦うために毎月20億TAG1を超える米国の戦時援助を求める; 大量戦争関連の移住とホームレス

実質GDP (購買力平価)

$ 535.579億( 2021 est。)

一人当たりの実質GDP

$ 12,900 ( 2021 est。)

農産物

トウモロコシ、小麦、ジャガイモ、ヒマワリの種、テンサイ、牛乳、大麦、大豆、菜種、トマト

産業

石炭、電力、鉄および非鉄金属、機械および輸送機器、化学薬品、食品加工

輸出

$ 815億4000万( 2021 est。)

輸出-パートナー

ロシア9%、中国8%、ドイツ6%、ポーランド6%、イタリア5%、トルコ5%( 2019 )

輸出-商品

トウモロコシ、ヒマワリの種油、鉄と鉄の製品、小麦、断熱配線、菜種( 2019 )

輸入

$ 841億7,500万( 2021 est。)

輸入-パートナー

中国13%、ロシア12%、ドイツ10%、ポーランド9%、ベラルーシ7%( 2019 )

輸入-商品

精製石油、自動車、包装医薬品、石炭、天然ガス( 2019 )

為替レート

hryvnia ( UAH )米ドルあたり-
27.286 ( 2021 est。)

2023/03/28

サハリン・千島列島の領土認識概略

1875年のサンクトペテルプルク条約(樺太・千島交換条約)で、

日本は千島列島すべてを獲得し、

ロシアは樺太(サハリン)の統治権を得た。

1905年にロシアが敗北したとき、

ロシアは樺太北部の領有権を保持し、

日本が樺太南部の支配権を得た。

1945年、ソ連軍が千島列島と樺太を占領した。

樺太については日本から意義は唱えられなかった。

1946年、ソ連は千島列島全体を併合し、

南の4島に住んでいた1万7000人の日本人を追放した

1951年、サンフランシスコ講和条約により、

日本は千島列島北部を放棄したが、

南部の4島(歯舞、色丹、択捉、国後)はそうではない。

両国のあいだにはいかなる平和条約も結ばれていない。


2019年はじめ、日本の報道機関は安倍晋三首相の発言にもとづいて、

返還合意が間近にせまっていると報じたのうわさは、

ロシアのモスクワや、千島列島が属するサハリン州で抗議運動をひき起こした。