2023/03/28

サハリン・千島列島の領土認識概略

1875年のサンクトペテルプルク条約(樺太・千島交換条約)で、

日本は千島列島すべてを獲得し、

ロシアは樺太(サハリン)の統治権を得た。

1905年にロシアが敗北したとき、

ロシアは樺太北部の領有権を保持し、

日本が樺太南部の支配権を得た。

1945年、ソ連軍が千島列島と樺太を占領した。

樺太については日本から意義は唱えられなかった。

1946年、ソ連は千島列島全体を併合し、

南の4島に住んでいた1万7000人の日本人を追放した

1951年、サンフランシスコ講和条約により、

日本は千島列島北部を放棄したが、

南部の4島(歯舞、色丹、択捉、国後)はそうではない。

両国のあいだにはいかなる平和条約も結ばれていない。


2019年はじめ、日本の報道機関は安倍晋三首相の発言にもとづいて、

返還合意が間近にせまっていると報じたのうわさは、

ロシアのモスクワや、千島列島が属するサハリン州で抗議運動をひき起こした。

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