1875年のサンクトペテルプルク条約(樺太・千島交換条約)で、
日本は千島列島すべてを獲得し、
ロシアは樺太(サハリン)の統治権を得た。
1905年にロシアが敗北したとき、
ロシアは樺太北部の領有権を保持し、
日本が樺太南部の支配権を得た。
1945年、ソ連軍が千島列島と樺太を占領した。
樺太については日本から意義は唱えられなかった。
1946年、ソ連は千島列島全体を併合し、
南の4島に住んでいた1万7000人の日本人を追放した
1951年、サンフランシスコ講和条約により、
日本は千島列島北部を放棄したが、
南部の4島(歯舞、色丹、択捉、国後)はそうではない。
両国のあいだにはいかなる平和条約も結ばれていない。
2019年はじめ、日本の報道機関は安倍晋三首相の発言にもとづいて、
返還合意が間近にせまっていると報じたのうわさは、
ロシアのモスクワや、千島列島が属するサハリン州で抗議運動をひき起こした。
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