祭神は仇討で有名な、曽我十郎祐成(そがじゅうろすけなり そ)・曽我五郎時到(そがごろうときむね)。
当社縁起によれば、直江兼続(なおえかげつぐ)景勝(かげかつ)に従い上洛した折、 富士山麓の社から曽我兄弟の木像を譲り受け、 実父・樋口兼豊(ひぐちかねとよ)が守る 越後の直峰城(のうみねじょう)に社を創建したという。 上杉家の移封に伴い米沢に移り、樋口家屋敷に隣接するこの地に祀った。
明治12年に村社となり、現在の社殿は大正6年の米沢大火後に再建したものである。神達神社の名は、 樋口越後上田の庄で領した神立村(新潟県湯沢町)の神立明神に由来する。
旧町名由来 御清水町(おしみずまち)
(現町名 城北一・二丁目・中央六丁目)
米沢城の北側に位置する侍町で、 主に与板組に属する中級家臣団が居住した。町名の由来は、町の北端にあっ た良質の清水に由来する。江戸時代は、この清水から汲まれた水が米沢城内の謙信を祀る御堂に供えられた。
Oshimizu-mach Town
A samurai town located to the north side of Yonezawa Castle, middle-class reamers belonging mainly to the Yoita group lived here. The origin of the town's name was the clean, pure water located at the town's north edge. During the Edo period, this water was given as an offering to in the enshrinement hall of Yonezawa Castle which is dedicated to Uesugi Kenshin.
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