現在我々人類が食する「お米」すなわち「栽培稲」の発祥の地はどこであろうか?
栽培稲発祥地を最初に推定したのは
アルフォンス・ルイ・ピエール・ピラム・ド・カンドルである。
彼は栽培稲の発祥地はインドだと指摘している。
では野生の稲からどのように栽培稲が発見されたのだろうか?
今日でも, インド, アフリカ, 中南米などの奥地で,
野生稲の子実を食用とする習慣が残されているところからみて,
おそらく,原始時代にも野生稲の子実は重要な食糧源だったと想像される。
イネの栽培化の第一歩は, 野生稲の種子を人間が播種したときに踏み出されたに違いない。
播種して収穫することを知った原始時代の人たちは, 次には種子を選択することによって,
より収穫をあげうることに気づいたであろう。
このようにして,自然採種から原始的農業に移行するにつれて,
"在来種"と呼ばれる原始的な栽培稲が生まれ,やがて育種技術が確立するようになり,
"改良種"と呼ばれる近代的な品種がつくられるようになったと考えられる。
そのような原始的な栽培稲から
日本型のお米といわれるジャポニカ米と
インドや東南アジアでよく栽培職されている
インディカ米への分化はいつこと起こったのだろうか?
日本型は日本, 朝鮮, 中国北部に,
またインド型はインド, セイロン, 台湾, 中国南部に, それぞれ分布している。
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